奪われた子ども時代 – 鴨下全生さん(後編)
東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。 あのとき、子どもたちは何が起きていてどうするべきなのか、自分で判断して行動することができませんでした。この11年間感じていたことを、事故当時小学2年生だった鴨下全生さんにうかがいました。 現在、一家で関東地方で避難生活を続けていますが、政府の強制的な帰還政策に苦しめられ続けています。 |
自己責任論の氾濫
原発は政府が主導した国策です。本来であれば、事故の被害に遭った人々の生活をまもるのが政府の役目であり、批判され追い詰められるのは政府側ですが、避難者の現状は社会によく理解されているとは言い難い状況にあります。
「自己責任論が氾濫してるのが原因なんじゃないのかなって思いますね。国の予算からしたら避難者を救うことなんて別に簡単にできるはずなのに、反対する人なんてほとんどいないはずなのに。
環境破壊とか大災害で被害者がでたときもそうなんですけど、深刻に国のサポートが必要な方々を見捨てて、知らんふりしていれば世の中の人は忘れてくれるとか、責任から逃げ回ってればそのうち問題にされなくなるっていう風に考えてるんじゃないかって感じたりするんです」
具体的に、政府がこうしてくれたらって思うことがありますか?とお尋ねすると、「しっかりと科学に基づいた合理的な判断をしてくれたらいいのにって思いますね。科学を無視していろんなことを進めちゃっているように感じるので、科学に基づいた対策を取ってくれたら、だいぶ改善するんじゃないのかなって思いますね」と答えてくれました。
人生の半分以上「避難中」のまま
8歳のときに避難して19歳になった全生さん。いまも、できることなら福島で暮らしたいと思っているそうです。
「未だに『避難してる』っていう気持ちなので。関東に生活の基盤があるのはたまたまで、そもそもみなし仮設だって仮の家でしかなくて、将来ずっと住む場所とはまったく考えてないので、福島の方がいいに決まってる。
ただ、科学的に考えたら、本当に何か凄い新技術が生まれるみたいな、ありえないようなことが起こらない限り、少なくとも僕が生きている間には汚染はなくならないってことがほぼはっきりしている。
(そのことに対しては)すごい残念というか、そんな土地にしてしまう原発って本当に破壊力が凄まじいなって、国富の喪失なんだなって」
「放射能を怖がる気持ちがこの町を復興から遠ざける」?
事故の被害に遭った人々の中でも、避難した人、避難できなかった人、避難しなかった人、避難したけれど帰還を選んだ人、帰還せざるを得なかった人、帰れない人、それぞれに状況は異なります。
「いったん避難して戻ったって人は危険性を結構認識している人なので、それをわかってもなお戻らざるを得なかったっていうのは、帰還しろっていう圧力がすごいかかったか、帰還せざるを得ない状況になってしまったからでは。
実際に僕たちにもすごい『帰還しろ』って圧力はかかってきますし、住宅支援を打ち切って帰らざるを得ない状態にされたりって経験をしているので、『帰らない』っていう選択肢をとれないようにさせられてしまったんだって理解できるので、本当にひどいことするなって」
地元に留まった人や帰還した人との間に分断が生まれてしまっていることは、子どもだった全生さんも感じていました。
「ラジオでも『放射能を怖がる気持ちがこの町を復興から遠ざける』なんて流れてたりするので、そう思ってしまうのは納得はできるんですけど、本当にひどい分断があるんだなって。
僕が(スピーチで)『避難できた自分はまだ幸せだ』って言ったら、『避難しなかった俺らは不幸せだって言いたいのか』って怒る人もいた」
本来なら理解しあえるはずの被害者同士が互いに憎しみあう不条理。それが、まだ子どもだった全生さんたちの心に、どんな影を落としていたか。
社会の中で、大人にまもられて、安心して過ごせるはずの子ども時代が、奪われていました。
そのことに十分配慮できていた人が、この11年、原発事故の当事者以外にどれだけいたでしょうか。
「めちゃくちゃしんどかったです」
原発問題はエネルギー問題であると同時に、環境問題であり、人権問題もはらんでいます。
「国にはすべての国民を幸せにするっていう仕事があるはずで、すべての国民が幸せになる方法を考えて議論する義務があると思うんです。しっかりと責任を持ってその義務を履行してっていいたい。
僕自身は原発そのものというよりは、どちらかというと、原発を動かしている仕組み、原発を動かさないと仕方ないみたいな世論がつくられてしまったり、思考放棄させてしまう仕組みを変えることが大事だと思う。
もっとたくさんの人が関心を持って、ちゃんとした議論が成立する世の中にならないと話にならない。
原発について、どれだけ危険なのか、もちろんメリットもデメリットも含めて、科学に基づいた情報をしっかり提供する状態にしないといけないんじゃないのかな」という全生さん。
いま、19歳。
人生でいちばん楽しくて、毎日わくわくするような時間が過ごせるはずの世代ですが、11年前からずっと、“原発事故避難者”という重荷を抱えたままでいることになります。
インタビューの終わりに、お友だちとこういう話をする機会はありましたか?とおうかがいしてみたら、
「ほんとないですね。自分のことを話さないようにしてたので」といいます。
それはしんどくなかったですか?
「めちゃくちゃしんどかったです」
全生さんは、いま、こういうことをしてる時が楽しくて、自分は人生を謳歌してるって感じられる瞬間はありますか?
「徐々に、ですね」
原発事故の被害に遭った子どもは、全生さんひとりではありません。
私たち大人社会は、この11年間、彼らに何をしてきたでしょうか。何をしてこなかったのでしょうか。
それは許されることでしょうか。
原発事故の影響が続く限り、原発政策を受け入れてきた大人たちは、子どもたちの未来に対して何をしでかしてきたのか、自らに問いかけ続けなくてはならないのではないか。
事故発生から11年。
改めてそこから考え直すことが、いちばん大事なことなのではないかと感じています。
電気のために誰かが犠牲を強いられる時代を終わらせたい。
子どもたち未来の世代に、そんなものを残したくない。
グリーンピースといっしょに、声を上げませんか。