志賀原発、右から1号機、2号機
志賀原発、右から1号機、2号機。石川県羽咋郡志賀町

元旦に発生した予期せぬ大地震。震源地となった能登半島には、発災時には稼働していなかった志賀原発、そして予定が覆されて建設されなかった珠洲原発、2つの原発の歴史がありました。「もしも、原発が再稼働していたら。もしも、建設された原発が重大な事故を起こしていたら」。2つの原発の過去と現在から、私たちが選び取るべき未来、持続可能なエネルギーについてを考えます。

能登半島の2つの原発

2024年1月1日(月)の午後4時、石川県能登地方を震源とする地震が発生しました。最大震度7を観測したこの地震は241人*の尊い命を奪い、石川県内だけで4万6000棟以上の住宅被害を出しました*。道路やライフラインへの甚大な被害は支援や復旧作業を困難にし、1カ月以上が経った現在も、1万4000人以上が避難所での生活を余儀なくされています*

今回の地震が、地盤の隆起という滅多にない現象を引き起こしていたことも明らかになっています。能登半島の北西部で4メートル以上、能登半島北側の海岸でも複数の地点で2メートルを超える地盤の上昇が確認されました。

地震の震源地、石川県能登半島に、再稼働の計画が進んでいたものの発災時には稼働していなかった原発、そして、計画されたものの建設されなかった原発、2つの原発の歴史があることをご存じでしょうか。福島第一原発の事故などの影響で運転停止状態が長期化していた志賀(しか)原発と、建設が計画されて以来、長きにわたって住民同士の対立を引き起こした末に建設中止となった珠洲(すず)原発です。

志賀原発と珠洲原発の位置

志賀原発

1993年に1号機、2006年に2号機の運転を開始した北陸電力の志賀原子力発電所は、石川県唯一の原発です。2011年の3月、東日本大震災が発生し、福島原発事故の後、日本全国すべての原発が運転停止となり、その際に志賀原発も運転を停止しています。

石川県羽咋郡志賀町赤住に位置する北陸電力志賀原発
石川県羽咋郡志賀町赤住に位置する北陸電力志賀原発

しかし、2014年に安倍晋三元首相のもと、安全が確認された原発から再稼働をすすめる方針が打ち出され、志賀原発の再稼働を巡る攻防が繰り広げられることになります。

2012年7月、原発直下に活断層がある疑いが浮上し、立地調査や2006年に既に終了していた再確認調査の正確性が問題となっていたのです。専門家は「典型的な活断層」と指摘し、立地不適格で廃炉となる可能性もありました。

しかし、北陸電力がこれに反論し、新しい調査方法を用いて「活断層でない」とする根拠を提出します。能登半島地震からおよそ10カ月前にあたる2023年の3月、原子力規制委員会がこれを認め、敷地内を通る断層を「活断層ではない」と結論づけていました*。その後、経団連が視察に入るなど、志賀原発の再稼働推進の動きは非常に強いものでした*

珠洲原発

石川県珠洲市に原発の建設計画が持ち上がったのは1975年のことです。計画地近隣の高屋(たかや)地区、 寺家(じけ)地区では、建設をめぐって若い世代をも巻き込んだ熾烈な市民の対立が起こりました。

原発の建設予定地となった石川県珠洲市高屋町のまちなみ
原発の建設予定地となった石川県珠洲市高屋町のまちなみ(2010年7月)

反対派の住民は、交代で建設予定地の監視を続け、立地調査の阻止行動を行うなど、粘り強い反対運動を展開しました。一方、推進派とされた人々の決断も、その多くが過疎や地理的事情、産業の不在など、生活のための苦渋の容認であったといいます。小さな集落は28年もの間、原発建設計画に振り回され、真っ二つに引き裂かれました。

結局、珠洲原発は電力会社が手をひいたことを直接の原因に2003年12月に計画が凍結されました。計画中止後も、推進派と反対派住民の間にできてしまった溝は幾年も元のようには埋まらなかったといいます。しかし、福島原発の事故、能登半島地震の発災を経て、今日本中から計画の凍結に貢献した反対運動への感謝の声が起こっています。

志賀と珠洲、被害の大きかった2つのまちで

今回の能登半島地震が起きてから数日間、石川県では少なくとも780人もの市民が孤立状態となっていたことがわかっています*

珠洲原発の建設予定地だった石川県珠洲市高屋町では、ほとんどの住宅が倒壊し、陸路海路ともに通行不能となりました。1月4日の時点でおよそ90人が孤立*、寸断された道路の復旧には時間を要しました。また、珠洲市では、揺れの被害にくわえ、津波の被害も大きかったことがわかっています*

志賀原発が位置する石川県羽咋(はくい)郡志賀町(しかまち)から30キロ圏内でも、孤立状態となった場所が多くあり、原発事故があった際の避難ルートとなっている「のと里山海道」は、複数カ所が陥没して通行不能となっていました*

路面が大きく崩壊したのと里山海道
路面が大きく崩壊したのと里山海道。原発事故があった際の住民の避難ルートだった(2024年1月2日)

幸運にも志賀原発は稼働していませんでしたが、外部電源や非常用電源が一部使えなくなり、放射線監視装置(モニタリングポスト)の一部も測定不能になるなど多数の被害が出ていました。原子力安全を専門とする小出裕章さんは、「稼働していたとしたら、福島第一原発と同様の経過をたどったかもしれない」*と指摘しています。

変圧器の配管が破損し、1万9800リットルの油漏れが生じていた志賀原発
変圧器の配管が破損し、1万9800リットルの油漏れが生じていた志賀原発

もしも、珠洲原発ができていたら、志賀原発が再稼働していたら、原発が重大な事故を起こしていたら……。今回の地震では、こうした「もしも」の場合に、住民が防災計画通りに避難できたとは考えにくい被害が実際に起きていました。

「地震災害と原子力災害の両立はありえない」

能登半島地震で明らかとなった原子力防災計画の欠陥を受け、1月31日、「これ以上原発を動かすべきではない」という趣旨の要請書が政府に提出されました( FoE Japanおよび原子力規制を監視する市民の会呼びかけ)。全国各地から163団体、1,373人が連名したこの要請書にグリーンピース・ジャパンも賛同しています*

賛同者の一人であり、珠洲市で被災した北野進さんは以下のように話します。

「今回の地震で市内は壊滅状況になった。奮闘する市長や職員も被災した。連日連夜の懸命の作業が続いている。それでもまったく人手が足りず、全国各地から応援に訪れている。もしここに原発事故が重なっていたらどうなるか。

珠洲市にはかつて原発の計画があった。もし原発事故があったら、全国各地の応援のみなさんは誰もくることができなくなり、孤立状態の中、住民は放射能汚染にさらされる。政府はこうした状況に向き合ってほしい。地震災害と原子力災害の両立はありえない

地震大国日本のエネルギー

日本はとても地震の多い国です。気象庁によると、東日本大震災以降、日本では震度6弱以上の地震が31回(東日本大地震も含む)発生しています。能登半島地震を含め、そのうちの15回の地震は、這わなければ立っていられない震度6強の地震です。

エネルギーは私たちの暮らしに直接繋がっています。地震大国日本で、安心して暮らすために、持続可能な未来を見すえたエネルギーを選択する必要があります。

原子力がその答えでないことはすでに明らかです。しかし、気候変動に拍車がかかり、化石燃料への依存を一刻も早く止めることが求められている今、火力発電に頼ったエネルギー政策もまた正しい選択ではありません。加えて、火力も有事に強いエネルギーとはいえないのです。

喜ばしいことに、安定供給を確保しながら、より安全に、コストも抑えられるエネルギーの生産・供給方法はすでに存在しています。世界各地で進む事例を参考にし、日本においても、快適性や効率をあげるかたちでの省エネ、そして災害時に柔軟に対応でき、地域や自然と調和するかたちでの再生可能エネルギー導入を選びとる、その時がきています。

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参考:NNNドキュメント「シカとスズ~勝者なき原発の町~」(2014年)テレビ金沢制作