長崎の空で

その朝、お姉さんが髪を梳いていたツゲの櫛が折れたそうです。
お母さんは縁起を気にする人で、「何か悪いことがあるかもしれない」と思ったのか、勤労動員に出かける娘たちに
「警戒警報が鳴ったらすぐ帰ってくるように」といいつけて送り出しました。
それで一旦出かけた娘たちは、8時ごろの警戒警報を聞いて自宅に戻ってきました。

その日の11時2分、長崎市の上空で1発の爆弾が炸裂しました。

原爆炸裂の約15分後に長崎市香焼町で撮影されたきのこ雲

この話をしてくれた女性の自宅は、瓦や窓ガラスや障子が吹き飛ばされましたが、倒壊は免れたそうです。
帰宅していたお姉さんたちやお母さんも怪我をしましたが、命は助かりました。
隣近所の子どもたちは市の中心部に勤労動員に出ていて、それっきり帰ってきませんでした。

この原子爆弾によって、当時7万人もの命が奪われました。
12万人以上が家を失い、多くの人が原爆症に苦しみました。

この爆弾投下から6日後の1945年8月15日、第二次世界大戦が終わりました。

終わらない戦争

この体験談を語った女性のお母さんは、櫛が折れるのは「何か悪いことの予兆」と考えていたのでしょう。
では、長く続く戦争や、戦時下の暮らしをとくに「悪いこと」とは思っていなかったのでしょうか。

確かに、人と人とが傷つけあう戦闘は、日本の本土の外で行われていました。
目で見ることのできるメディアが限られていた時代、硫黄島や沖縄や、米軍による空襲や艦砲射撃や機銃掃射が行われていた地域以外では、戦争は「目に見えないもの」でした。

あれから77年、わたしたちの「目に見えない」戦争は、いまも続いています。

ウクライナでの戦争だけではありません。

2015年に内戦が始まったイエメンでは、1600万人にも及ぶ人々が食料危機に直面しています。
コンゴ民主共和国では1996年から紛争が続いていて、すでに500万人以上が亡くなっています。
シリアで2011年から続いている紛争では1160万人が難民になっています。シリアの人口は約2200万人なので、国民の過半数の人々が家を追われたことになります。
昨年、軍事クーデターが勃発したミャンマーでは、1500万人をこえる人々が人道支援を必要としています。
アフガニスタンやベネズエラでも、武装勢力の暴力に人々の生活が脅かされています。

アフガニスタンから避難した難民。ギリシャ・レスボス島の難民キャンプで、2019年撮影。

そこで何が起きているのか、報道がなければ、現地に行かなければ、わたしたちは見ることができません。
でも、わたしたちの目に見えないところで、実際に戦争は起きています。

目に見えないものを見る

グリーンピースは、核実験をやめさせようと、実験場に船で向かった人々の手で設立されました。
以来半世紀余り、人の目に見えにくいところで起こっている環境破壊の現場に直接赴き、事実を世界に発信し、問題の根源を変えることで、さまざまな環境問題を解決に導いてきました。

グリーンピースはいつも、「目に見えないもの」をそのままにするのではなく、まずそこに行って見て、調べるところから、環境保護活動を始めます。
目で見ることができるようになれば、起きていることがわかります。
「許せない」「なんとかしなくては」「できることはないか」と人の心に訴えかけることができます。

グリーンピースは完全に独立した環境保護団体なので、情報発信を含めすべての活動はどんな政府からも企業からも影響をうけることがありません。
こうした環境保護活動は、平和でなくてはなかなかできません。
7月に戦時下のウクライナで実施したチョルノービリ(チェルノブイリ)立入禁止区域での放射能調査も、調査チームの安全がある程度確保された上で実現したものです。

チョルノービリ立入禁止区域の地雷原で、遠隔操作で放射線を計測できる小型測定器を使った調査。2022年7月。

そうして目に見えるようにできた核汚染が、地球の環境にどんな影響を与えるかを伝えることも、グリーンピースの使命です。

かんじんなことは、目に見えないんだよ

第二次世界大戦で戦死したアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説「星の王子さま」の一節です。
王子が旅の間に出会ったキツネが、物事は心の目で見なくちゃ、と教えるのです。

いま、わたしたちが目にしている世界は、平和でしょうか。
この平穏な暮らしの裏で、誰かが何かに怯え、悲しみにくれ、行き場を失っているとしたら、その平和は本物といえるでしょうか。
あるいは、わたしたちが手にしている生活は、いつまで続いていくでしょうか。
もしこの先に、誰かの自由が奪われ、虐げられ、踏みにじられることがあるとしたら、この平和は本物といえるでしょうか。

心の目を閉じてしまうことはとても簡単です。
その方が気持ちが楽になります。
今日と同じ明日がくるのが当たり前、と思えていれば、手の届く範囲だけがまもられている現実に満足することができます。

それでも、この現代社会で、わたしたちの誰もが、戦争や人権侵害や環境破壊とまったく無縁でいることはできません。
たとえ目に見えなくても、わたしたちの暮らしの延長のどこかで、暴力と搾取は起きているのです。

わたしたち自身のために、未来の世代のために、心の目を開いて、一歩を踏み出す人がいて、一人ひとり手をとりあって、いっしょに声を上げたい。
そういう人々の力があるから、グリーンピースの活動は今日も続いています。

あらゆる命がまもられ、誰もが安心して暮らせる、緑豊かで平和な世界の実現をめざして。

https://www.greenpeace.org/japan/act/