東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。 
あのとき、子どもたちは何が起きていてどうするべきなのか、自分で判断して行動することができませんでした。
彼らにとって、この11年は何だったのか。お話してくださったのは事故当時小学2年生で、今は19歳の鴨下全生さん。大学1年生になりました。
鴨下全生さん ©️Taishi Takahashi / Greenpeace

原発事故は終わらない

11年前、早春のまだ寒かったあの日のことを、覚えていますか。

金曜日の午後でした。

地震があって、津波が来て、原発事故が起こりました。

あの日を境に、それまで当たり前に暮らしていた生活のすべてが一変しました。

時間の経過とともに人々の記憶の中で薄れつつある大災害と原発事故ですが、決して終わってはいません。いまも、続いています。

事故当時、何が起きていてどうするべきなのか、子どもたちは自ら判断して行動することができませんでした。そんな彼らも11年の間に、大人への階段を上っています。

福島の自然環境を求めて

鴨下全生(まつき)さんは現在大学1年生。事故当時は小学2年生でした。

原発で何か起きているのではと危惧した鴨下さん一家は、3月12日の早朝、福島県内の自宅から関東方面に避難。

「(初めは)『避難してる』っていう実感がそんなになかったんです。大変な状況なんだっていう認識も。親がそうさせなかったんだと思う」

身を寄せた親族の家に数日滞在した後に、急遽借りたアパートに移りました。

4月初旬、父・祐也さんは勤務していた県内の学校再開に伴って福島に戻ることになり、弟さんと母子3人での避難生活が始まりました。

「寂しかったですね。僕よりも弟の方が『お父さんバイバイ』って言ってから、布団に潜って泣いたりとか、そういったことがあったので」

1年半ほどの母子避難を経て祐也さんも避難先に合流、いまは家族4人で暮らしています。

全生さんのご両親は福島県出身ではありません。福島の豊かな自然環境と気候を求めて移り住んだ移住者です。全生さんも弟さんも、福島県で生まれ育ちました。

全生さんは福島での生活を「春はつくし狩りをして、夏は潮干狩りに行って、秋はキノコを採ってって、いろんなことができて楽しかったですね。やっぱり、あのころの生活が続いてたらなって思いますね」と振り返っています。

原発事故の半年前、福島県のオクラと空芯菜の畑の前で弟さんと

グリーンピースは、これまで何人もの被害者の方々にお話をうかがっていますが、福島の美しい自然とその恵みに溢れた暮らしがどんなに幸せだったか、それを口にしない人はほぼいません。誰もが、福島という豊かな土地の素晴らしさを、心底誇らしげに、懐かしそうに語られます。

それが汚染されてしまったという深い悲しみが、皆さんの言葉から伝わってきます。

避難してまもなくいじめが始まった

避難先から通い始めた学校でいじめが始まったのは、新学期が始まってすぐの、4月のことでした。

「死にたい」と思うほどつらい日々が続きました*

「いじめのきっかけが何だったかっていうのは意外に覚えてないというか、大したことじゃないってとらえてました。『いじめ』自体が何なのかも知らないような状態だったので。3年生ぐらいの時はそんなこと(いじめの原因)を考える余地はなかったです。

避難者ということが、かなり大きな影響を及ぼしたのは間違いないんですけど、だとしても、国が賠償金について、お金なんかに替えることのできないような深い傷を負わせてしまったことに対して、せめてもの償いとして払っている、そういった説明がなかったから。

あと『(区域外避難者は)いつまでここにいるの?』みたいな報道なんかなければ、いじめにつながるってことはなかったんじゃないかな。

学校とか政府がしっかり連携して正しい対処をしていれば、いじめを防ぐこともできたはずだと思っていて。

本当だったら防げるはずのことを防げなかった、いろいろな責任が(教育や政治に)あるんじゃないのかなって、僕は思います」

あまりのつらさに体調を崩し、登校できなかったときもありました。

鴨下さん一家は慣れない土地を転々とする避難生活や、福島と避難先を往復する二重生活に苦しみ、それぞれが、心身に異常をきたしています。

仮設住宅を追い出される

現在は、講演会やインタビューで避難者の立場から発言するようになった全生さん。

「避難住宅を『追い出される』ってことになって、追い出されたら生活する場所がなくなっちゃうので、それをとめるために署名を集めて、しっかりと申し入れしないといけないって(人前で)話したのが最初のきっかけですね」

一家は、避難所が閉鎖されるたびに別の避難所へと移動を繰り返し、自治体から提供された応急仮設住宅に一旦落ち着いたものの、やがて避難者への住宅支援は次々に打ち切られていきました。

「そんなことやめてって抵抗すると、『じゃあ一年延長』みたいな話が何回か続いて。(僕らは)何かあったとしても最低限の生活を維持できるけど、そうでない人たちは本当に『家がなくなったらどうしたらいいんだ』って追い詰められちゃって、不安な人がたくさんいると思います。実際に自殺してしまった人もいる

全国に散らばる原発事故避難者の中でも、帰還困難区域外からの避難者から、住まいである仮設住宅を取り上げるといった強制的な帰還政策は、たったいま、現在進行形で続いています。

経済的に自力で自主避難を続けることが可能な人であれば、一時的にでも仮の住居を用意することができても、高齢者やハンディキャップのある人、失職中といったさまざまな事情で仮設住宅での生活を続けざるを得ない人々もいます。

本来は政府の援助をうけてしかるべき弱い立場の人々が、こともあろうに当の政府の卑劣な嫌がらせに遭っているのです。

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電気のために誰かが犠牲を強いられる時代を終わらせたい。

子どもたち未来の世代に、そんなものを残したくない。

グリーンピースといっしょに、声を上げませんか。