シリーズ 「NGOの役割を再考する」

第5回 「消費」から「省費」へ、アベノミクスは時代遅れ

参院選の勝利で信任されたと言うアベノミクス。 しかし、物質的に成熟した日本社会において、アベノミクスが期待する「消費増大」は起こるのだろうか? 環境問題は「消費行動」と密接に関係する。そのためグリーンピース・ジャパンの長期的な活動方針を検討するにあたって、人間の「消費行動」の変化を整理する必要があるのではないかと感じていた。 そこで、この機会に「消費」をキーワードに、アベノミクスの盲点と、市民社会、そして個人の役割について考えてみた。 そこで思いついたのが「省費」というコンセプトだ。

「シェアハウス」と「アベノミクス」

以下のような場面を想像してほしい。 若者たちが集うシェアハウス。 その若者達は、週末に長野で有機農業を体験しようと仲間をフェイスブックで募っている。仲間はすぐに集まり大好評の企画になりそうだ。 そこに、最近の若者と意見交換をしたいと考えたある政治家が、高級スーツに身をまとい、高級車で訪れた。 「アベノミクスがうまくいけば、あなたたちもこのような下宿所ではなく、高層ワンルームマンションに住むことができるようになりますよ。農業なんてしなくても、外食で済ませればいいじゃないですか。昔のように大企業にも就職できて、給料もあがりますよ。成長戦略を実現できる私に投票してくださいね」と訴える。 シェアハウスに住むという若者の行動自体が信じられない人もいるだろうし、若者への政治家の言動に違和感を覚える人もいるだろう。 そもそも、こんな非現実的な状況はないと思うかもしれないが、アベノミクスを声高に語る政治家は、程度の差はあれ、新しい世代には場違いにみえていると思う。消費の価値に関する世代間ギャップは思ったよりも大きい。

「第四の消費」

「消費」というキーワードを考えるにあたって、最近、マーケティング・リサーチャーの三浦展さんが書いた「第四の消費」(注1)という新書を読んだ。普段から何気なく考えていたことが、見事に整理されていたものでぜひお勧めしたい一冊だ。 この中で、マーケティングのプロとして高度経済成長を見てきた三浦さんが唱えるのが「消費社会の四段階」という以下のような区分だ。 紹介されていた表を一部抜粋して紹介したい。
時代区分 第一の消費社会 (1912年~1941年) 第二の消費社会 (1945年~1974年 第三の消費社会 (1975年~2004年) 第四の消費社会 (2005年~2034年)
社会背景 日露戦争勝利後から日中戦争まで。大都市中心中流の誕生 敗戦、高度経済成長期からオイルショックまで。大量生産大量消費。一億総中流化 オイルショックから低成長、小泉改革まで。格差の拡大 リーマンショック、大震災、不況の長期化、人口減少による消費市場の縮小
人口 増加 増加 微増 減少
出生率 5 5→2 2→1.3~1.4 1.3 ~ 1.4
高齢者率 5% 5%~6% 6%~20% 20%~30%
国民の価値観 National 消費は私有主義だが、全体としては国家重視 Family 消費は私有主義だが、家、会社重視 Individual 私有主義かつ個人重視 Social シェア志向社会重視
消費の志向 洋風化、大都市志向 大量消費、大きいことはいいことだ、大都市志向、アメリカ志向 個性化、多様化、差別化、ブランド志向、大都市志向、ヨーロッパ志向 ノンブランド志向、シンプル志向、カジュアル志向、日本志向、地方志向
消費のテーマ 文化的モダン 一家に一台、マイカー、マイホーム、三種の神器 量から質へ、一かに数台、一人一台、一人数台 つながり、数人に一台、カーシェア、シェアハウス、    
三浦さんは、時代に応じて国民の価値観が「National (国家)→ Family(家族) → Individual(個人) → Social(社会)」へと変化していると分析する。そして、第三の消費までの3つの価値観(National → Family → Individual)は、モノを大量に生産、販売したいという企業のマーケティング戦略のもとで人工的に創られてきた価値観だという。 モノを大量に販売したければ、個人単位での所有を促す生活スタイルを「トレンド」とする必要があったわけだ。 消費者の能動的な行為かと思う「消費行動」が、実は「企業の売りたいものを買わされていた」という極めて受身な行為だと気づく。 一方、第四の消費は、まったく逆のベクトルだ。「ソーシャル」という言葉に敏感に反応し、シェア志向が進むなど、できる限り消費しないことを美徳と考える人が増えてきているというのだ。「ポスト消費」時代とも言えるかもしれない。

「消費」から「省費」へのシフト

シェアハウスの若者に、「所有」の良さを語った政治家のストーリーを紹介したが、これを三浦さんの「消費社会の四段階」の表に当てはめてみると理解しやすい。 第一から第三の消費社会の時代に「成功体験」をした政治家が、大都市志向、個人スペースの確保、所有という価値感を、第四の消費社会世代に説いている構図だったというわけだ。 アベノミクスを力説する安倍首相や麻生大臣の言動と、その恩恵を実感できない市民とのギャップも、この構図に近いものがある。 第三の消費から第四の消費へのシフトは、「消費(費やして消す)」から「省費(費やすことを省く)」へのシフトだ。 「省費」にはいろいろある。 必要ないものをそもそも買わないことから、エネルギーや食べ物の一部を「生産」してみたいという欲求、さらには人とのつながりを生み出しながら共同でモノを利用するシェアやレンタルも奥が深い。労働までをシェアするワークシェアなども含まれるだろう。 三浦さんも著書の中で述べているが、「消費」は、あるモノを購入したその瞬間が幸せのピークである。一方、「省費」は生き方に創意工夫や人とのつながりを必要とするため、継続的な体験を通じて人生を豊かにする。 「消費」が受身なのに対して、「省費」は極めて主体性の高い能動的な行為と言える。 「ソーシャル」や「エシカル」というキーワードに魅力を感じる「省費」世代にとって「大量生産・大量消費」は「時代遅れのダサいもの」になるのではないか。

市民社会と個人の役割

私のアベノミクスへの危機感は、その推進者が「消費がダサくなりつつある」ことに気づいていないことだ。 もちろんシェアハウスなどの「省費」生活をしている人は、まだまだごく一部だし、誇大評価しようとも思わない。しかし深刻化する社会問題を考えれば、社会の潮流は「大量生産・大量消費」に厳しく、「省費」に追い風だ。 「消費」をベースとした「グローバル経済」ではなく、「省費」をベースとした地域の資源やつながりを大切にする「ローカル経済」の事例も聞かれるようになった。 自然エネルギーを地域で行うご当地発電なども良い例だ。学生たちも地方での社会的意義ある仕事を選ぶ傾向にあるという。社会企業家にも注目が集まる。 しかし、どんなに地域主導の「ローカル経済」に新しい希望が芽生えても、アベノミクスやTPPの推進など、この数年間でブルドーザーのような「グローバル経済」が推進されれば、希望としての「ローカル経済」の基盤はことごとく破壊されるかもしれない。 社会問題の解決に取り組むNPOやNGOそして市民社会は、「グローバル経済」における「大量生産と大量消費」の問題点をより積極的に指摘する必要がある。また、そのようなNPOやNGOがこれからの社会で求められてくるはずだ。 国際環境NGOであるグリーンピース・ジャパンもこの視点を忘れずに環境問題の解決に向けて取り組んでいきたい。 最後に、私自身にも当てはまるが、個人レベルでも「消費者」から「省費者」へのシフトを心掛けていきたい。「省費」という前向きな行為に一歩踏み出せば「新しい価値観」、そして「生き方」を発見できると思う。 (注1)「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」 三浦展 朝日新書 「NGOの役割を再考する」は、日本のNGO(非政府組織)やNPO(非営利団体)などの市民セクター、またグリーンピースの役割について事務局長の佐藤潤一の意見をシリーズ化しているものです。