生後10ヶ月で歩けるようになったぼくは、古きよき里山風景が残る故郷を母といっしょに何時間も歩いたという。毎日続けたこの小さな徒歩冒険こそが、人生最初の自然体験。そのあと父から教わり夢中になった、魚釣り・キャンプ・山歩きがぼくの生き方を決める。小学生から今日まで、環境変化に敏感な野生魚を求めて、動力を使わずに自然の奥を目指す行為を続けてきた。

 生まれ育ったのは、京都と奈良の県境近くの大阪の田園エリア。田畑や雑木林が広がり、池や沼や小川が点在。家の前の小さな山で、春の竹の子や夏のカブトムシ、晩秋から冬は秘密基地づくりと、毎日まっ暗になるまで遊んでいた。

   しかし当時の日本は、自然や人の健康よりも、産業が優先される高度経済成長期まっただ中。目の前の山や近隣の雑木林、田畑や水域があっという間に削り取られる。ぼくを育んだ里山の自然が、ベッドタウンと呼ばれる無機質な住宅街に化けていく。夏の午後には「光化学スモッグ発生」のアナウンスが流れ、屋内に入るよう指示されるのが日常に。毎年訪れていた渓流はみるみるうちにコンクリートで固められ、年を追うごとに魚の姿が消えていく。

   胸がチクチクする哀しみを感じるが、その気持ちをうまく言語化できない。「日本も豊かな大国になる」と歓喜する大人たちに違和感をおぼえ、そんな社会や経済システムに拒否反応を抱くようになる。映像ジャーナリストを目指していた大学生時代、「環境保護活動」という言葉とグリーンピースの存在を知り感銘を受ける。絶望しかかっていたぼくにとって、自然を守ろうとする大人たちがいることは希望だった。しかし、自然や平和のために活動する人たちがマイノリティ扱いされることが不思議でならなかった。

   成人したぼくは、矛盾や理不尽だらけの人間界に背を向けるかのように、ひとりでさらに自然界の奥深くへ入るようになる。自然はときに優しいが、とても厳しい。だが、そこには一切の嘘と偽りがない。そんなピュアな世界に惹きつけられ、衣食住を背負って山道を2週間歩いたり、水辺に張ったテントで何日間も過ごすことがライフワークとなり、今ではカヤックで外洋に漕ぎ出して漁をするようになった。気付けば、アウトドア雑誌の表紙や特集で何度も取り上げられ、登山雑誌で7年以上も連載を担当し、ついには『バックパッキング登山』という2冊の著書(入門編と紀行編)を出していた。

   40歳を目前に、15年間勤めたレコード会社を退社してニュージーランドの原生林に囲まれた湖のほとりに移住。庭にある無農薬&無化学肥料の菜園・ハーブ園・小さな果樹園と、周辺の森から四季の恵みをいただき、自宅前の湖と近くの海で釣る魚をタンパク源とする、家畜肉を食べない自給自足ライフも今年が10周年。小さな街から20km近く離れた山奥で低消費でサステナブルな暮らしによって、大自然への感謝がより強くなった。

「発言する前に、まずは自分だけでも実践」。これまではそう考えてきたが、この暮らしから得られる気付きをシェアしたい、社会から背を向けず向き合いたい。いよいよそう考えるようになった。そんなタイミングで、学生時代から尊敬してきたグリーンピースからアンバサダー就任のお声かけいただいたことは運命だと思っている。

   都市生活や田舎暮らしに関係なく、人間はどこにいても自然に完全に依存している。コンビニの加工食品も、大都会の空気も、街の水道水もすべて、地球がもたらしてくれる「命」だ。ぼくらが輩出したCO2も排泄物もゴミもすべて、最後は周辺の環境に戻されている。そう、人は生きているだけで母なるこの星に大きな負荷をかけているのだ。さらに、気候危機とパンデミックを受けて、全ての環境問題における「当事者」としての責任から人類全員が逃れなれなくなった。

   もはや、地球環境のために活動する人たちはマジョリティだ。そして、みんな動き始めてる。個人個人が一斉に声をあげて立ち上がれば、絶対に世界は変わる。ぼくらがこの星に生き残るために、一緒に行動しませんか?

四角大輔
ニュージーランド在住 執筆家

(四角さん提供)

11/7(土)11時〜 アンバサダー就任記念イベント@ZOOM

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