東京電力福島第一原発事故から10年。みなさんにとって、次世代に語り継がれるべき「私たちの記憶」とはどんなものでしょうか? 3月27日(土)の午後、事故を経験した日本のこれからの10年について、文化人類学者の辻信一さん福島県郡山市出身の大河原多津子さんと一緒に考えました。

振り返ることは、未来につながっている

辻さんがファシリテーターとなった対談では、登壇者それぞれの10年を振り返ると同時に、振り返ることで未来につなげるための対話を重ねた40分となりました。

まず、原発事故当事者のお一人である大河原さんに、事故当時の思いを振り返っていただきました。

大河原さん

郡山出身ではありますが、有機農業と人形劇の活動の拠点は、田村市船引町で行っています。今日は、事故後にはじめたカフェ「えすぺり」の拠点である三春町から参加しています。
事後前は、春夏秋は畑。冬は人形劇で幼稚園など訪問する理想の人生でした。福島で生きる農民として、事故当時どういう方向でやっていけばいいか、どうしようもなく苦しかったですが、有機農業を続けていくことを支えたのは、グリーンピースが行った農産物の放射線測定があったからでした*1
数値を見て、続けていこうと思えました。そして、数値を公表して農業をやっていこうと決めました。カフェでは、直売所で地元の野菜販売だけでなく、野菜中心の体に優しい食事を提供しています。

農作物の放射線調査をするグリーンピースの放射線モニタリングチームのメンバーと、それを見守る大河原さん。

【原発の「現実」とは?】

辻さん

いろんな環境活動をしているとよく耳にするのが「そうは言っても現実は・・・」といった「現実論」。若者たちは「こうであったらいいな」という理想すら語れない社会になってしまっています。これは危機だと思うんです。ちょっと非経済的なことを言うと「理想論」「きれいごと」になってしまう。自分たちにかけた呪いのようです。
原発をよく見れば見るほど、とても非現実的なものです。10万年かからないと半減期を迎えないものを人間がお金のために使っている。これが現実なんですね。
若い人たちには、「こういうところに暮らしたい」「こういうふうに生きたい」をとにかく表現して欲しいなと思います。僕たちの年代ができるのはそれを応援することだと思います。

【これからの10年について思うこと】

大河原さん

農民なので、日本の農業人口の少なさが心配です。食糧危機が迫ってきているのでは? 私は、自分でつくるのが一番確かなことだと思っています。コロナでベランダ菜園などが増えたのは嬉しいことですが、誰がこの先の食料を作るのか?と気になっています。自分でつくって、自分で料理して、自分で食べる。大自然の中で深呼吸できることはとても気持ちいいことを伝えていきたいですね。

これからの10年で日本は大きく変わるのか?

質疑応答の時間では、以下の質問を登壇者にお聞きしました。

  1. 長期的に見れば再エネ100%は可能だと思うが、急に変えることは難しい。安定供給ができる原発がつなぎ役として必要ではないか?原発は事故後に安全性を高めているので、リスクは下がりつつあるでは?
  2. これからの10年で、日本は大きく変わることができるでしょうか?

【1つめの質問:原発は必要なのではないか?】

グリーンピース鈴木

関東はここ10年くらい原発なしでやっています。事故前に54基あった原発は、いま33基になっているんです。国の審査基準を通ったのは9基ありますが、全部稼働しているわけではありません。その理由は、裁判で止められていたり、定期検査が終わっていない、トラブルがあって稼働していないなどの理由があるからです。現状で、原発は電源構成の6%しかまかなえていないので、原発はなくても大丈夫なんです。
原発以外の部分は、まずはエネルギーの総使用量を減らして、自然エネルギーでまなかっていくことが必要です。長野県は独自にCO2の7割を削減するシナリオを持っています。

(続き:グリーンピース鈴木)
原発の安全性が高まっているのではないか?ということについて、安全性を高める話はよく聞きますが、大元は変わっていないです。耐えられる地震の数値がありますが、それを上回る地震は起こり得ます。その1点で、津波のために壁を作ることなどは全く意味がないことです。原発が大きな地震には耐えられないことは変わりません。だから原発は危険です。

辻さん

「即脱原発は非現実的だ」「原発がないとできない」という「現実」や前提にたって考えるのはやめようと言いたいです。何に電気やエネルギーをたくさん使っているのか。1つはグローバリズムや自由貿易によって、モノを遠い距離から運ぶ輸出入が現実になっているんですね。その現実を変えなければ、原発だけでなく、気候危機はどうにもならなくなります。
もう1つは食。僕たちは食がなければ生きていけないのに、食べ物を生産したり、必要なところに送ることが、温室効果ガス排出源の20%や30%ほどと計算する人もいるくらいなんです*2。これが現実なんですね。経済をグローバルからローカルに、大胆に転換しないといけないです。

エネルギーもまったく同じだと思います。原発の巨大な問題は、集中型ということ。そしてそこに人を依存させることで民主主義もあやうくなってしまうこと。原発と民主主義は相容れないんです。若い人たちには、いままで現実的だと言われていることを全部疑ってみる。そういう勇気を持っていただきたいです。
みなさんが新しい現実を作ればいいんです!

福島で自然エネルギーの利用を促進するためのプロジェクトの一環で、大河原さん夫妻が運営するコミュニティカフェ「えすぺり」の屋根に、太陽光パネルを設置しました。これはクラウドファンディングに参加してくれた市民の出資によって実現しました。

【2つめの質問:これからの10年で、日本は大きく変わることができるのか?】

大河原さん

今の政治体制では無理だと思います。でも、グレタさんをはじめ、いろんな国で若い人たちが怒り始めていますよね。それを20世紀の人たちが、反省を込めてうまく応援したり、一緒になってやっていけるかが鍵だと思っています。若い人たちがこれから生きていく社会をどういう風にイメージしていけるかを、私たちのような40代、50代の人たちが本気でやらなきゃいけないと思います。変えられる可能性がないわけじゃないと思っています。

グリーンピース鈴木

変われるか、というより、変えなきゃいけないと思っています。ジョン・レノンが「戦争が終わる。もしあなたがそう思うなら」と歌ったように、「社会は変われる、あなたがそう思うなら」と思い、変えていきたいと思います。

辻さん

すでに変わっていると伝えたいです。世界中でものすごい変わっています。公の現実になっていないだけなんです。また、人や世の中を変えることは大変ですが、「私」は変われるんです。そして「私」が変わらないと世界は変わらないんだと思います。ガンジーの言葉のなかに「Be the Change」という言葉があります。「あなたが何か変化を起こしたいと思ったら、その変化にあなたがなりなさい」というガンジーならではの英語です。いつも僕たちは自分の外側に現実を見て、これを変えたいと外から言っているわけです。でも現実はあなた自身なんです。あなた自身が変わることによって世界が変わります。
「これが現実だ」と言われていることから離れるのは努力や想像力、勇気が必要です。でも、そこから今こそ一歩踏み出して欲しいなと思います。
変われるんです。そしてすでに変わりつつあるんです。そして変わるしかないんです。

これからの10年を想像し直してみる

最後に、辻さんからこのイベントにふさわしいヒントをいただきました。

辻さん

10年前や原発事故の直前に、原発をなんとかしようってみんなで考えていたら、どうなっていたでしょうか? あるいは事故直後に、みんなで決意して脱原発に動き出したら、今どうなっていたと思いますか? ドイツはたった10年で原発依存度を半分に減らして、自然エネルギーを数倍に増やしたんです。
ナオミ・クラインさんとアレクサンドリア・オカシオ・コルテスさんが関わった「未来からの伝言」(下記Youtube動画)をぜひ見て欲しいです。こんなふうにこれからの10年を想像し直してみる。未来から声を聞くように、今何ができるか組み立てていく。これは僕たちもきっとできるはずなんです。

みなさんから寄せられた「私の10年の想い」

当日、辻さんのあたたかみのある声で読まれた「10年の想い」。想いに共感しながら、真剣に聞く参加者の表情が印象的でした。時間の都合ですべてを共有することができませんでしたが、一人ひとり違う10年間の重み、そして震災や原発事故が与えた変化を教えてもらいました。200件以上寄せられたメッセージの全文は、特設ウェブサイトで読むことができます。以下に、当日ご紹介したメッセージの一部をご紹介します。

「3月11日。当時、私は小学6年生でした。教室で卒業文集を書いている時、大きな地響きのような音ともに大きな揺れが来ました。今まで感じたことのない揺れにとても恐怖を感じました。幸い、家族も家も無事でした。しかし数日後、原発事故が起きました。私の家は避難準備区域内。水素爆発の映像を見た瞬間に、すぐに避難しました。何が起きたのか分かりませんでした。故郷が汚染されたまちに変わり果て、大気も土壌も海も危険なものになりました。除染作業のために木も伐採され、汚染物質を一時的に置くための囲いができ、放射能測定器が市内中に置かれました。二度とこのようなことがあってならないです。未来のために原発は残してはいけない。」

【神奈川県】

「当時、人間関係のもつれから、引きこもり生活を送っていました。・・・死ぬこともできないが、生きることもできないうつ状態でした。そして3・11。・・・目が覚めました。不謹慎だけど、目の前に広がった破壊の風景は自分自身の荒廃した心の様と重なり、報道で次々と死者が発表されていくのを見るにつれ、『こんなに破滅的な出来事が起こっているのに、死にたいと思っていた自分は助かってしまった…』その衝撃が、ぐるぐると全身を駆け巡りました。そして直後に起こった原発事故を機に、取りつかれたように原発について調べ始めました。それからは、構造的な日本の闇、それに蝕まれている社会や人々の心の退廃に、目が向くようになりました。
3・11を経ても”変われない日本”に絶望しつつ、『変えられるのは自分』と、過去の生き方にはきっぱりと別れを告げました。ボランティアやデモにも多数参加し、高度経済成長の残骸の生活から離れたライフスタイルを模索。・・・自分の足で立ち、自分の目で世界を見、何物でもない無名の一人間として誠実に生きていこうともがきました。そして今も、その変革の過程におります。」

【東京都・女性】

「震災をきっかけに変わったこと・・・。常に感じるようになったのは、形あるものは壊れたり、なくしたりしていつかは価値がなくなるものがほとんどだということ。一方で目に見えないもの。愛情や知識、経験などは一生物の価値があるということ。この10年の間に、社会人になり結婚をし、娘が産まれました。・・・これからの10年、目に見えないものを大切にしていきたいです。またよりよい未来を作るための行動を毎日意識して過ごしたいと考えております。そして、出来るだけ多くの人が、独りよがりではなく、広い視野や柔軟な考えを持つ社会で暮らしていきたいです。プラスチックの問題、原発のこと、差別、高齢化社会など、みんなが自分の問題と認識して、小さくても行動に移すのが当たり前の社会10年後にはありますように。」

【東京都】

「原発ありきの現実」から離れるための一歩を一緒にあゆみませんか?

原発をなくして、事故を二度と繰り返さない。それを現実にするために、「原発なし」でCO2排出実質ゼロを達成するよう、政府に伝える署名を続けています。

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