いわき湯本で当時の記憶を振り返る池田さん
©Ryohei Kataoka/Greenpeace

原発事故から12年。今年は福島にとって重要な年になります。原子力政策の大転換、汚染水の海洋放出、汚染土の再利用など、福島を取り巻く多くの課題が一気に動こうとしています。これまでグリーンピースの調査にご協力くださった方々を中心に、現在の状況を聞きました。原発事故を繰り返さないこと、事故の被害者を支え、エネルギー政策による被害者をこれ以上つくらないために、写真と共にお届けします。

「原発事故後の福島を何とかしたいという気持ちで現場に入りました。汚染された環境を少しでも元に戻したいと思いました。『負の作業』といいますが、一人一人の作業員の思いがあるのです」。2013年に郵便局を定年退職した池田実さんは、2014年2月から5月まで、当時まだ帰還困難区域だった浪江町で除染作業に従事。同年8月から2015年4月まで福島第一原発構内で、廃炉作業をおこないました。

▼この記事を読むとわかること

>桜の下で除染作業
>過酷な廃炉作業
>被ばく労働者裁判の支援
>実体験を伝えていく
> 原発は「絶対悪」
>原発がいらない7つの理由

桜の下で除染作業

「あのころ頑張って除染したのに、避難解除されてもやっぱり人は帰ってないね」

浪江町のかつての除染作業現場を再訪した池田実さんは、川沿いの桜並木を見ながら寂しそうにつぶやきました。

折しも除染作業に従事していた2014年4月には、河川敷の桜並木が開花し、まだ避難指示が解除される前の浪江町は、無人の街に桜が咲き誇っていました。満開に咲く春の草花を容赦なく刈り取っていくことに、虚しさを感じたといいます。浪江町は2017年に除染作業が終了して、帰還困難区域を除く区域の避難指示が解除されましたが、2022年時点で帰還した人は原発事故前の約1割程度にとどまっています。

池田さんが除染作業をおこなったのは、浪江町を流れる請戸川の土手や田んぼでした。河川敷で、草刈りと表土の剥ぎ取りをおこない、フレコンバッグに収納する作業が主にされていたといいます。作業エリアの空間線量は高く、毎時20マイクロシーベルトを超える場所もありました。

被ばく対策はずさんで、手袋、マスク、ゴーグルなどは装着しましたが、防護服の着用はなく、退域時にも厳格な放射能測定はされませんでした。

かつての作業現場だった請戸川沿いの土手
かつての作業現場だった請戸川沿いの土手(2022年2月 浪江町)©Ryohei Kataoka

過酷な廃炉作業

福島第一原発の廃炉・収束作業では、つなぎの防護服、全面マスクなどを装着しました。毎日の被ばく線量は、警報機付き個人線量計(APD)とガラスバッジを携行して記録されました。高線量の中での作業だったため、実働時間は1日2~3時間でした。

原発構内での主な作業は、建屋内に残っている事務書類や備品などの分別回収作業だったといいます。

日給は1万4千円でしたが、そのうち「危険手当」は4千円。除染作業の半分以下でした。福島第一原発の廃炉作業は、下請け、孫請け、ひ孫請けなど、多重下請けを経ることで、マージンが取られ、作業員に支払われる金額は減ってしまいます。

そのうえ、多くの下請け会社は、コスト削減のため、古い民家や簡易宿泊所のような狭い部屋に何人もの作業員を住まわせました。プライバシーはまもられず、池田さんも劣悪な環境での生活を強いられました。

池田さんは、除染作業と廃炉作業を約1年3ヵ月おこない、積算被ばく線量は合計7.25ミリシーベルトでした。この値は、厚生労働省が原発作業での白血病の労災基準としてあげている年5ミリシーベルトを超えています*1。

福島第一原発に入る道路のゲート前
福島第一原発に入る道路のゲート前にて(2022年2月 大熊町)©Ryohei Kataoka

*1 法律で放射線業務従事者の被ばく線量は、1年で50ミリ、5年で100ミリシーベルトが上限と定められ、年間20ミリシーベルトを超えないように管理されています。池田さんの除染作業・廃炉作業についての詳細かつ克明な記録は、『福島原発作業員の記』(2016年、八月書館)を参照。

被ばく労働者裁判の支援

池田さんは、3年前に原発関連労働者ユニオンを立ち上げ、現場の作業環境を改善するよう求める活動をしています。また2015年に、福島第一原発の収束作業に従事した労働者として初めて、被ばくによる白血病とうつ病の労災認定を受けた「あらかぶさん」*2が、東京電力と九州電力を相手に損害賠償を求める訴訟を支援する活動をしてきました。

福島第一原発事故以降、これまでにあらかぶさんを含む10人の作業員が白血病や甲状腺がんなどを発症して労災が認められましたが、被ばくとの因果関係を証明することは難しく、労災申請は極めてハードルが高いのです。

原発作業員には、離職後の被ばくの影響に対する保障は全くありません。もし罹患したとしても自費で受診、治療するしかありません。劣悪な労働環境の下で使い捨てられているのが福島原発作業員の実態です。

被ばく労働問題を訴えて都内の集会でデモ行進
被ばく労働問題を訴えて都内の集会でデモ行進(2020年9月 東京・銀座)©Ryohei Kataoka

福島原発事故から12年経ち、構内の線量が低下したエリアでは、作業員の装備を全面マスクから半面マスクに変えたり、防護服から通常の作業服にするなど、装備基準は変わりましたが、作業員の労働環境はあまり変わっていません。

ピーク時に1日7,000人を超えていた作業員の数は、現在1日4,000人程度まで減りました。作業員の数が減って労働時間が伸びたため、1人当たりの被ばく線量はそれほど変わっていません。賃金は減り、危険手当も下がっています。廃炉作業のコストカットとして賃金と安全がないがしろにされているのです。

いわき湯本で当時の記憶を振り返る池田さん
いわき湯本で当時の記憶を振り返った(2023年1月 いわき市)©Ryohei Kataoka/Greenpeace ©Ryohei Kataoka/Greenpeace

*2 北九州市在住の通称あらかぶさんは、2011年10月から2013年12月にかけて、東京電力福島第一原発・福島第二原発、九州電力玄海原発で働きました。約2年間の被ばく線量は、記録されているだけでも19.78ミリシーベルト。2014年1月に急性骨髄性白血病と診断され、治療に耐えて回復することができました。2015年10月、福島第一原発の収束・廃炉作業に従事した労働者として初めて、被ばくによる白血病とうつ病の労災認定を受けました。2016年に東京電力と九州電力に損害賠償を求めて東京地裁に提訴しましたが、被告の東京電力と九州電力は、被ばくと白血病の因果関係を否定して全面的に争う姿勢を示し、裁判は続いています。あらかぶさん 福島原発被ばく労災 損害賠償裁判を支える会

実体験を伝えていく

昨年、池田さんは、あらかぶさんと一緒に関西や九州へ講演ツアーに行きました。

これまで、3.11を当然知っているという前提で集会や講演をしてきた池田さんでしたが、若い人たちには原発事故を知らない人も増えているといいます。九州の中学校では、講演後に子どもたちから「原発は良くない」という感想が多数寄せられました。

「自分の実体験を伝えていくことが必要だと思います。被ばくをもたらす原発はよくないということを若い人に知ってほしいです」

中間貯蔵施設内の土壌貯蔵施設
中間貯蔵施設内の土壌貯蔵施設(2022年2月 双葉町)©Ryohei Kataoka

原発は「絶対悪」

「グリーン*3のために原発を利用するのは、元作業員として許せません」

池田さんは政府の原発推進方針に怒りをあらわにします。

「原発を再稼働すれば作業員の被ばくも増えます。原発は『絶対悪』だということです。気候変動とか二酸化炭素は関係なく、単純に使ってはいけないということです」

*3 2022年1月初め、欧州委員会が、原子力と天然ガスを「脱炭素化に貢献する『グリーン』な投資対象」と提示した。原発は「グリーン」なエネルギー?

–取材を終えて
福島第一原発では、これまでに10万人を超える作業員が、収束・廃炉作業や除染作業に従事しました。今後30年以上かかる廃炉作業や中間貯蔵施設での作業では、さらに何万人もの作業員が被ばく労働を続けなければなりません。全国各地で廃炉が決まった原発では、長期間に多くの作業員が必要とされます。そして再稼働した原発が一度過酷事故を起こせば、被ばくを強いられる労働者の数はますます膨れ上がります。今後、果てしなく続く廃炉作業では、原発労働者の雇用、労働条件、福利厚生の改善、そして被ばくについての保障が不可欠です。

原発がいらない7つの理由

理由3:通常運転時も被ばくする労働者
原発は通常運転時でも、作業員による被ばく労働が不可避です。原発作業員は、定期点検時、炉内の高線量下で危険な作業を強いられます。それにも関わらず、原発の下請労働者は、賃金のピンハネなど、搾取され使い捨てにされてきました。多重下請け構造の中で、労働災害が隠され、ずさんな被ばく管理で、健康被害も認められてきませんでした。福島原発事故後の収束作業では、多くの作業員が被ばくを強いられながら、現在も困難な廃炉作業を続けています。今後、デブリ取り出しの作業では、さらに危険で高線量の被ばくが予想されます。原発は、ウラン採掘、発電、廃炉に至るまで、労働者に被ばくのリスクを強いています。気候正義に反する発電システムなのです。
(理由1〜7を他のインタビューで紹介しています)

(文・写真 片岡遼平)

【プロフィール】 片岡 遼平

幼少期から人権問題をはじめ社会活動に参加。高校から社会人まで生命科学の研究(染色体・遺伝子)に従事しました。2011年3月、東日本大震災直後から岩手・宮城・福島の支援活動を続け、その後も各地で発生する災害等の支援活動をしています。また、フォトジャーナリストとして、新聞・雑誌等への執筆や講演もおこなっています。2022年からグリーンピースジャパンでエネルギー・原発問題を中心に担当。多岐の課題に取り組んでいます。

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