今年ももうすぐ、3月11日がめぐってきます。地震があって、津波がきて、原発事故が起きて、多くの人々が家を、家族を、友だちや親しい人を、暮らしを、故郷を、かけがえのないものを失ったあの日。

あの日から今日までを生きてきた、私たち自身と様々な方の記憶・経験を重ね合わせながら、これから作っていく未来を、改めて一緒に考えませんか。

今回も、避難指示区域のひとつだった浪江町から避難中の堀川さんご夫妻が、いったいそこで何が起きているのか、グリーンピースにお話ししてくださった体験をご紹介します。

▶︎真実の「復興」を – 堀川文夫さん・貴子さん vol.2

事故前の福島県浪江町にて愛犬との散歩(堀川さん提供)

東京電力に就職するのが出世

もともと原発に反対だった堀川さんですが、事故前は公にそのことを話す機会はなく、親しい人や経営していた学習塾の生徒、その保護者たちに伝える程度だったといいます。

堀川文夫さん(以下文夫さん)「うちの父が、(原発)賛成派だったんです。だから私も賛成派だと思われていました」

堀川貴子さん(以下貴子さん)「近所に反対運動して、裁判もしてっていう立派な人もいたんだけど」

グリーンピース「堀川さんが反対派だということをご存知の方は、それをよそでいったりしないんですか」

文夫さん「しないです」

グリーンピース「どうしてでしょう」

文夫さん「おめなにいってんだ、だって原発なかったら浪江ねえべ、って。事故なんかあり得ないって。あれがあって、いま私たちの町は発展してるんだから。卒業生も、5分の1は原発関連(に就職)」

貴子さん「東電に就職してるのが出世頭」

文夫さん「(地域経済が原発に)依存してる。原発建設中なんて、喫茶店が浪江に20以上できた。あんなちっちゃい街に。飲み屋さんは200軒以上。どんな店だって、どんなもの売ったって儲かっちゃうっていう時代もありました」

グリーンピース「だから『大丈夫』と思いたいという感覚に?」

貴子さん「思いたいっていうより、安全だと聞かされてる」

文夫さん「私が小学校5〜6年生の時、体育館に全校生徒が集められて8ミリフィルム見せられたんです。科学の粋を集めた、実に素晴らしい原発ができるんだよって。帰りに下敷きと鉛筆とノートをもらって、『うちに帰ってお父さんとお母さんに話してくださいね』って、先生が言うんです。校長先生も、東電関係者も」

貴子さん「エネルギー館(※東京電力旧エネルギー館)はみんな行くよね。遠足で」

文夫さん「体験みたいな、見学ツアーみたいなのがあるから、だからみんな(原発内部は)見てる。『すげえなあ』って、壊れるかもなんてことは微塵も感じない」

貴子さん「大丈夫だって思っちゃうよね。だいたいの人は『すごいねえ』って帰ってくる」

文夫さん「でも、小さな事故なら年に200回以上起こしてる。何かプールに落としたとか、何か漏れたとか。そういうのだって、一歩間違えば大きなことにつながりかねないことが何回もあったんですね。でもそんなの大したことないよ、大丈夫だよって」

そして、あの事故が起きてしまいました。

2011年3月26日、浪江町でのグリーンピースの放射能調査

変われるチャンス

文夫さん「大きく変わりそうな予兆があったんだよ。これで日本が変わるかもしれないって思ったんですよ、あのとき。

この原発事故でみんなが考え始めて、あれって思って、変わるかもって。

すごく悲しかったけど、苦しかったけど、変わるかもしれないって、いいきっかけになるかもしれないって思ったんだけど」

貴子さん「私たちここに越したときに、すぐにここで何かあったらどこにどうやって逃げたらいいんだろうって、避難経路を確保することを一番最初にやったんですけど、それをこの辺の人に話すと、やっぱり笑い話で終わっちゃいますもんね。そのときはそのときだよ、で終わっちゃう」

文夫さん「東南海地震が発生したら、ここは津波には耐えきれない。同じことがもしここで起こったら、静岡・神奈川・東京、1500万〜1600万人が避難することになる。どこに避難するの?難民問題、そっくりそのまま日本の問題になっちゃうってことだよね。でも『そうなったらそのときだよ』って」

堀川さん夫妻の絵本『手紙』

被害を発信する生き方

堀川さんは避難後、各地の人々の求めに応じて、講演などで被害を発信する活動を始めました。

その体験を通じて書かれたのが絵本『手紙』です。

文夫さん「最初のうちは相当強い言葉で発言してたんです。こういうことは絶対ダメなんです。ふるさとを喪う、歴史ごと丸ごと切り取られることになるんですよって。でもなかなか広がらない」

絵本は、堀川さん夫妻といっしょに避難した愛犬・ももの視点で描かれています。

自然豊かな思い出の故郷を後に残して避難しなくてはならなかった事情は、もちろん犬には理解できません。

いつ終わるのか、いつ戻れるのかわからないまま避難先で亡くなった彼女から夫妻への「手紙」として描かれた絵本を通じて、堀川さんは新しい発信の形にたどりつくことができました。

文夫さん「自分たちの活動範囲の可能性をこの絵本が教えてくれたから、もっと広げていきたい。お金にはならないんですけどね」

貴子さん「ここに来た意味はこれだよ、伝え続けることだよって」

人々の生活も過去も未来も奪い去った、原発事故。
住宅支援をうちきり、復興の名のもとに帰還を強いる政策は、堀川さんご夫妻をはじめとする原発事故被害者に対する人権侵害です。
グリーンピースは、避難されている原発事故被害当事者の方とともに国連人権理事会加盟各国に現状を訴えています。

そして、原発事故を経験した私たちが未来のためにできるのは、原発をなくし、事故を二度と繰り返さないこと。

原発なしで自然エネルギーを増やす政策を進めるよう、声を上げませんか
あなたの声を、届けてください。