グリーンピースの団体名はエンドウマメに似ていますが、本来の意味は“緑”と“平和”。
あらゆる命がまもられ、尊重される、誰もが安心して暮らせる社会を実現したい。そんな思いがこめられています。
設立して半世紀余り、どんな平和活動をしてきたか、3分で読めるようにまとめました。
イラク戦争に反対するグリーンピースのアクション。ニュージーランド、2004年。

核実験を止めさせる

グリーンピースが発足したのは1971年。アメリカ軍がアラスカで実施していた核実験を、現地に行って止めさせようと立ち上がった人々の手で設立されました。

この活動が世界中に広まって、1995年には実験中止を求める700万を超える署名が集まるなど国際世論が高まり、フランス・イギリス・アメリカ・ロシア・中国が核実験全面禁止条約(CTBT)に署名。1996年、CTBTが国連総会で採択されました。

1978年、活動船・虹の戦士号の乗組員

しかしこの間、太平洋でのフランスの核実験に抗議するためニュージーランド・オークランド港に停泊していた初代虹の戦士号がフランスの諜報機関に爆破され、乗員のひとりだったフォトグラファーが犠牲になる事件が発生しています(1985年)。核実験で汚染されたロンゲラップ島の住民を避難させた2カ月後のことでした。

1993年にはロシア軍が日本海に核廃棄物を投棄している現場をグリーンピースが暴露。これを契機に、ロンドン条約締結国会議で海洋投棄全面禁止が決議されました。

爆破された虹の戦士号

戦時下のグリーンピース

1991年の湾岸戦争では、イラク軍が意図的にペルシャ湾に放出した原油による環境汚染を他団体との協力のもとで調査。生きものたちの生態に深刻な被害が拡大していることが判明しました。

2003年に始まったイラク戦争では、世界中で反戦運動を展開すると同時に、アメリカ軍の管理下に置かれたバグダッド南部のトゥワイサ核施設の周辺に調査隊を派遣。周辺住民が生活用品に転用しようと放射能で汚染された容器を持ち出していたことをつきとめ、安全で清潔な容器を届け、放置され続けている汚染物資の撤去をアメリカ軍に求めました。

2006年、イスラエル・レバノン戦争下のレバノンへの支援物資を調達した国境なき医師団に協力、虹の戦士号で複数回にわたって物資を運びました。現地での戦闘による環境破壊の調査も実施しています。

2011年に始まったシリア内戦でも、国境なき医師団と協力して地中海を渡る難民を保護する活動を実施しました。

イラク・トゥワイサの各施設に隣接する女子校の放射線を測定するグリーンピース。2003年。

軍拡をくいとめる

2001年からはアメリカ本土を標的とする弾道ミサイルの迎撃態勢を構築する、アメリカ政府の戦略防衛構想(通称スターウォーズ計画)に対し世界中で反対運動を展開。

各国のアメリカ大使館に対して「ミサイル防衛構想は、新たな核軍拡競争の始まりであり、世界の平和と安全保障を脅かすものである。冷戦の終結後、核軍縮への道を歩いてきた国際社会の動きと完全に逆行しており、ブッシュ政権は今までの努力を水泡に帰そうとしている」というメッセージを届けました。

地中海を渡る難民を国境なき医師団・ギリシャ沿岸警備隊と支援する合同海上作戦。2015年。

平和でなくては環境はまもれない

環境問題はいまを生きるわたしたちだけでなく、子どもたち未来の世代の命の安全に関わる問題です。
でも、戦争はいつも、甚大な環境破壊を引き起こします。原油の流出や火災、軍事行動に伴う爆撃によって大量の温室効果ガスや有害なガスも放出され、水も汚染されます。

日本の広島や長崎に投下された核兵器は一瞬のうちに数万以上の人の命を奪いましたが、その後も長期にわたって世界各国で核実験が繰り返され、各地に核汚染が拡散しました。
それだけでなく、湾岸戦争・ボスニア紛争・コソボ紛争・イラク戦争・イスラム国への攻撃などでは劣化ウラン弾が使用され、現地の人々への深刻な健康被害が確認されています。

グリーンピースは平和で、緑豊かで、あらゆる命がまもられ、尊重される持続可能な社会の実現をめざしています。
放射能汚染の危険を伴う原発問題・核問題を解決することも、これから進行していく気候変動をくいとめることも、その使命のひとつです。

こうした活動は3隻の活動船を保有し、独立・中立の立場でどこででも行動できるグリーンピースを、ご寄付で支えてくださるサポーターの皆さまのお力の賜物です。改めて心より感謝申し上げます。

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